忘れられない日。

2021年3月11日14時46分、僕は福島駅の記念碑前で黙祷をしていた。

遡ること数日前、東日本大震災から10年という節目を目前にモヤモヤしていた。
この10年を振り返り、何か書きたいが全くペンが進まない。
思い立って3月11日から4日間かけて被災地を巡る旅に出た。
考えても何も出てこなければ、実際見て感じれば何か出てくると思っていた。

一週間後東京に戻り、感じたことを言葉にして書いてみたが、行く前とそんなに変わっていなかった。
結局、全くペンが進まず気付けば4月も後半になっており今に至る。

原因は言葉を選びすぎることにある。

震災当時、東京にいて外出先から家に帰れないくらいの被害しか受けていない僕が何を語ろうと大した話ではない。
でも、同じ日に日本にいた身としては、大なり小なり想いはある。

この10年で被災地へ二度だけ足を運んでいる。

2012年、震災後初めて宮城へ行った。
きっかけは東北開催のエアージャムだったが、数日かけて宮城の湾岸部の震災の状況を見に行った。
震災から1年半後でまだ街は津波の爪痕が所々に見えた。

2014年は福島へ。
一般人が福島第一原発のどれだけ近くまで行けるか試してみた。
持っていたガイガーカウンターから「危険」という表示とともに警告音が鳴り止まず、不気味さを感じた。

この旅先では出会った色々な人に震災の話を聞いて回った。
「家族が死んだ」
「家が流された」
「人がさらわれた」
など、どの話もとても重かった。

それはもちろん内容もあるが、映像だけで見ている話と実際に経験している言葉は重みが違うということ。
だから僕が震災に対して言い回しを考えたところで全く無意味だったとやっと気付いた。

今回被災地を巡り、記念館で映像や資料を見て知り、今まで話を聞いた僕の結論は月並みでも「忘れない」の一言に限る。
震災を知らない世代への勧告を含め、その重みのある言葉は貴重な経験者として活かして欲しいと切に願う。

そう思う反面、この先も被災地と呼び続けることにも疑問が残る。
今の被災地ではもう普通の生活基盤があり、そこから表面的な悲しさを全く感じなかった。
もちろん被災者一人一人に悲しい物語があるとしても、無理に聞き出す必要はないと思う。
忘れてはいけないこともあれば、忘れたいこともある。

だから次に行く時は、震災のことはそっと心にしまい、ただの旅行で楽しみに行きたいと思う。

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