芭蕉に学ぶ創造力と想像力。

中尊寺を目指し、平泉へ。

全く記憶にないが、中学校の修学旅行は東北で昼間は中尊寺や宮沢賢治記念館などを巡り、夜はソーラン節の練習と楽しかった思い出は一切ない。
中学生にとって、修学のための旅行とは名ばかりで仲間達との思い出づくりが99%を占めている。
それを夕方から夜にみっちりソーラン節の練習をさせられると、クラスの団結どころか嫌気がさしてくるものだ。

それから「東北はつまらない」というイメージが刷り込まれているのか、成人してからも東北へあまり出向いたことがない。
唯一、名前だけ覚えている中尊寺も全く記憶から消えており、「どんなところだったっけ?」とたまに記憶を探っていた。

そんな平泉も10年前にめでたく世界遺産登録。
今や東北の花形の観光地となっている。

平泉と聞くと松尾芭蕉を連想する。
実際中尊寺にも松尾芭蕉の像が立っている。
江戸から北陸、東北と巡った奥の細道は俳句のバイブル。
授業でもよく習った記憶がある。

俳句のセンスは全くわからないが、絵か字しかない時代にたった数文で見てない人に情景を伝えると考えると凄いことだ。
もちろん、芭蕉も凄いが、それを読んで情景を思い浮かべられる当時の人の想像力もとても凄い。
僕が好んで撮っている映像も、旅をしていい風景を叙情的に切り取るいう点では、芭蕉はまさにパイオニアである。

現代に置き換えれば、絵は写真とすると、俳句はブログやポエムなどになるだろうが、当時のことを考えれば、やっぱり動画になる気がする。
時間の流れや音など、切り取った一瞬の物語を情景と一緒に言葉にする。
それを聞いて、足りていない情報を自分の頭で補完して映像として楽しむ。
そんな作り手と読み手の創造力と想像力が俳句の楽しみなんだと思う。

– 夏草や 兵どもが 夢の跡 –

これを聞いて何も思わないのは、技術の進化のせいか、想像力の退化か、はたまた勉強不足か。
そんなことを芭蕉パイセンの銅像に問いかけ、中尊寺を後にした。

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